“私は数日前に驚くべきことを悟った。時間の問題も、お金とよく似ているのだ。時間を失う最も危険な方法は、娯楽に費やすことではなく、偽の仕事に費やすことなのだ。時間を娯楽に費やしているときは、自分が遊んでいるとわかっている。アラームが「さっさとやめろ」と鳴りはじめるだろう。ある朝に目覚め、ソファーに座って一日中テレビを見ていたら、すごくマズいと思うだろう。そう考えただけで怖くなる。テレビを見ながらソファーに座っていたら、2時間でもそわそわするし、まる一日だったらなおさらだ。
だが一日中テレビの前に座っていたほうがマシだった、という日も確かにある。一日を過ごした後で、「自分は何をしただろうか?」と自問した時、答えが「特になにも」になるような日だ。そんな日の後でも残念には感じるだろうが、テレビ前のソファーでまる一日を過ごしたほどの罪悪感はない。丸一日をテレビに費やしたら、自分が堕落していると感じるだろう。だが同じアラームが「実際には何もなしとげられなかった日」には鳴ろうとしない。表面上は働いてるように見えるからだ。たとえばメールへの返信だ。机に向かいながらメールを書く。退屈だ。だからこれは仕事に違いない。
時間もお金と同じく「快楽を避ければ十分」ではないのだ。狩りをしていたころや工業化社会以前だったら、おそらくそれで十分だった。環境も世間も、贅沢を許さなかった。だが世界は、より複雑になった。現在、最も危険な落とし穴は、贅沢をしていても、もっと崇高なことをしているフリをして、アラームを鳴らなくさせることだ。そして最悪なことに、この贅沢は楽しくないのだ。
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